保科という家はいつから、どこで発生したのでしょうか。
私なりに調べてみました。
でも、 歴史は素人なので正確であるかどうか保証しません。
日本中のどの保科家が最初かは分かりません。
少し調べてみましたが、今のところ保科正之につながる資料しか見つかりませんでした。しょうがないので、その件についてだけ書いてあります。
まとめている最中なので、ここは随時更新します。
大槻頼重が信濃国高井郡保科郷(現在の長野県長野市若穂保科)に移り住んだとき、「保科」を名乗ったのが最初です。地名の「保科」の「保」は荘園を表わす文字のようです。
天正10年武田氏滅亡時に徳川家と北条家が対立していました。その時に正直が徳川方について北条氏直を退けたのが最初のようです。正直は正之の祖父にあたります。正直は天正12年に徳川家康の妹(多却)と結婚?しています。ただ、多却との間に生まれた子供は全て他家の養子となったり、嫁いだりしています。
正之は慶長16年(1611)に生まれ、元和3年(1617)養子となりました。徳川家光の異母兄弟で側室の子であり、正室より疎まれたため保科家に移りました。
また、正之の子供である正容(まさかた)の代に松平の称号を得て、会津松平と呼ばれるようになりました。この「松平」というのは、ヨーロッパでの「伯爵」などと同じで名誉称号です。松平を名乗れたのは9家あって、テレビに出てくる「松平長七郎」も本名は別の名字のはずです。
本家(家系図上の直系)の方はどこにいるのでしょう? 御存じの方、メールください。
| 系図研究の基礎知識 近藤 安太郎 著 株式会社近藤出版社 刊 平成元年8月20日 発行 |
保科正之のすべて 宮崎 十三八 編 株式会社新人物往来社 刊 1992年12月30日 発行 |
| 別冊歴史読本 辞典シリーズ 日本「名家・名門」総覧 吉成 勇 編 株式会社新人物往来社 刊 1997年4月10日 発行 |